うにちゃは映画の夢を見るのか

1997年生まれのオタクがそれらしいことを述べ、そこはかとなく納得、共感させてしまうブログ。イラストレーターになりたい。

RAW ~少女のめざめ~ ネタバレ考察

 

RAW ~少女のめざめ~ ネタバレあらすじ

 f:id:unitya:20190904185902j:plain

 菜食主義者として育てられたジャスティーヌは両親の母校であり、姉も在学している獣医学校へ入学することなり、大学寮でゲイのアドリアンと出会う。獣医学校ではさまざまな儀式があり、そのうちの一つにウサギの腎臓を食べなくてはいけなく、ベジタリアンだった彼女は姉も過去に食べたことを聞き人生で初めて肉を口にしたのだった。

 肉を初めて食べた副作用からか、全身がかぶれてしまうが塗り薬を塗ることで症状は抑えられた。しかしながら肉を食べた興奮は止まらず学食のハンバーグをポケットに入れて盗んだり、夜な夜な生肉をまるかじりしたり自分の髪の毛を食べてしまったりと、異常な行為を働くようになってしまった。

 そんなことが続き、悩んでしまったジャスティーヌは姉のアレックスの寮室に泊まりに行きました。歯を磨いてるときにふと鏡の後ろをのぞいてみると、以前ジャスティーヌが処方されたものと同じ塗り薬があったのでした。姉も自分と同じ症状が出てることに気が付いたのでした。

 その後、ムダ毛を処理していなかったジャスティーヌに対してアレックスはブラジリアンワックスでの陰毛のムダ毛処理を提案します。 はがれなくなったワックスをはさみで切ろうとしたアレックスに、怖くて抵抗したジャスティーヌは事故でアレックスの中指を切断してしまいます。ジャスティーヌはすぐに救急車を呼びました。

 救急車を待っている間、飼っていた犬に指を食べられないように持っていたジャスティーヌは何を思ったのかそのまま食べてしまったのだった。それを気絶から覚めたアレックスに目撃されてしまったのだ。

 救急車で運ばれたアレックスは指を食べたのは飼っていた犬だと説明した。犬は人間の肉の味を知ってしまったと思われ殺処分されてしまうが、ジャスティーヌの犯した罪はなくなったのだった。

 その後、アレックスはジャスティーヌを町はずれに呼び出した。走ってきた車を見たアレックスはおもむろに道路に身を投げ出し、よけた車は電柱にぶつかり乗っていた人は事故死してしまった。その死体をアレックスは食べ始めたのだった。アレックスはジャスティーヌに人間の食べ方を教えていたのだったが、ジャスティーヌは人間を食べることに罪悪感があり、まだ自分のカニバリズムを認めていなかった。

 自分の本当の正体を知ってしまったジャスティーヌは友達のアドリアンを獲物を見つめるような目で見ていたり、キスしてきた人の唇をかみちぎったり、自分の腕にかみついたりと、自分の本能を制御できなくなってしまった。

 それを見ていたアレックスはジャスティーヌを酔わせ、死体置き場へと連れて行ったのだった。記憶がなく起きたジャスティーヌは周りからさけられていたためアドリアンに問い詰めると、ある動画を見せてくれた。そこに写っていたの死体にかみつこうとしている酔って本能むき出しのジャスティーヌだった。

 ジャスティーヌはすぐさまアレックスのもとへ行き、怒りを爆発させ公衆の前でお互いに噛みつき、姉妹喧嘩を始める。しかし、喧嘩することで何かが吹っ切れたジャスティーヌは自分の運命を自覚し、姉とも打ち解け会えたのだった。

 喧嘩の次の日、目を覚ますとゲイのアドリアンが隣で寝ていた。ゲイとはいえ愛していたのだった。ふとアドリアンの体にさわってみると血だらけだったのだった。すぐさま布団をよけると、骨が見えるまで足を食べられたアドリアンがいたのだった。

 ついに無意識のうちに人間、しかも愛する人を食べてしまったことに絶望したジャスティーヌだったが、血が流し台のほうまで続いていたのだ。そこには血だらけで放心状態のアレックスがいた。本能のままにアドリアンを食べてしまったのだった。

 アレックスは逮捕され、事態は収束したかに思えたが、ジャスティーヌの父から衝撃的な告白をされる。「実は母さんもなんだ」おもむろにシャツを脱ぎ始めた父。体には何か所にも及ぶかみちぎったような跡があったのだ。「お前には解決策を見つけてほしい」

 

自分なりに考察してみた

  • 映画冒頭の車の事故は?

 映画は道路に飛びだしたことによって起きた事故シーンから始まる。またそのことについて一切映画では触れられていない。またアドリアンと一緒に街に出た時にも事故っている車が出てきている。しかしその事故った車をよーく見ると違う車なのである。アドリアンとバスで見た車は時系列を考えたらアレックスが行った犯行だと思われるが、映画冒頭のものは母親が在学中に行っていた時のことかもしれない。(背格好的にはアレックスのように見えるが)

 

  • サルと人間は同じか?

 入学後に学食でサルをレイプするとエイズになるのかという話をしていたのを覚えているだろうか?男が言うにはサルをレイプする人間は大勢いるし、サルは認識能力が足りないから人間ではないと主張した。一方ジャスティーヌは人間はサルと同じだ、だから獣医を目指していると主張した。ここでのサルというのは、人間のようで人間ではないもの、つまりジャスティーヌのことをさしたメタファーだと考えられる。

  • デブといわれなかった生徒

 肉食によって全身がかぶれてしまったジャスティーヌは大学内の診査室で、先生から話を聞く。ある日、太った女の子が診察されにやってきた。一通り診察を終えたら女の子は泣きながら初めてデブといわれなかったと泣き出した、と。ここでのデブは普通の人間じゃないということを暗示しているのだろう。先生からは目立たないようにおとなしくしてなさいと、アドバイスを桁のだった。

  • ハンバーグを盗んだわけは?

 ウサギの腎臓を食べた後、学食でハンバーグを盗む、すぐさま見つかってしまうもののアドリアンが料金を払ったため事なきを得たが、ジャスティーヌはすぐゴミ箱に捨ててしまう。ここのシーンではおそらく、ジャスティーヌはハンバーグを食べたかったのだが、みんなの見ている前だった手前盗むというよくわからない行動に出たのだろう。その後サンドイッチを食べるシーンで食べるところを見ないで、と言っていたのでやはり肉を食べる=禁断的行為だったのだろう。ハンバーグの段階では興味がありつつも食べることには抵抗があったみたいと考えられる。

 

  • 豚と人間は遺伝子が似ている?

 スタンドでサンドイッチを食べていると、大型トラックの運転手に話しかけられる。その人がいうには豚と人間の遺伝子は一緒だということらしい。これは、ジャスティーヌは肉食動物、そして人間は食べられる豚、つまり食物連鎖のメタファーだろう。実際に最後のシーンで鐘が鳴ったら生徒たちはまるでパブロフの犬のように反応して外に出てきているのである。捕食するものに劣っては人間は、家畜同然ということかもしれない。

  • 殺処分された飼い犬

 アレックスの指を食べたことにされた犬は人間の味を知ってしまったからと殺処分されてしまった。一方アドリアンを食べたアレックスは逮捕されるだけで済んだのである。本来の動物と人間は一緒というジャスティーヌの考え方では、アレックスは殺処分、つまり死刑になって当然である。つまり、このシーンでは人間と動物ではやはり差があることを示唆しているものだと思われる。

 

 ゲイのアドリアンはこの映画においてかなり重要な役割を占めている。彼とセックスしてしまってからジャスティーヌは本能的になってしまって、自分を抑えられなくなってしまっている。つまり、彼がジャスティーヌの本能のスイッチになっていたともいえるだろう。また、彼もジャスティーヌと同じ普通の人間ではない、ゲイという特徴を持っといた。ジャスティーヌだけではなく、彼もまた、生きにくい世の中の中で生活していたのだ。

  • 姉妹の関係性

    f:id:unitya:20190904185901j:plain

アレックスとジャスティーヌはまさに獣の姉妹のように描かれていた。最初は姉が服を貸してあげたり、悩み相談やムダ毛処理だとか、ティーンの姉妹として普通に描かれていたが、「狩り」つまり人間の食べ方を教えたり、噛みつきながら喧嘩したりと、まるで犬やオオカミのように戦っていたのである。ここでも「人間ではないもの」ということを表していると考えられる。

 

映画の評価

  • おすすめ度

 ★★★★★

 正直衝撃を受けた。グロ要素のある映画とのことで鑑賞したのだが、社会的弱者がどう生きるのか、生まれ持った普通ではない部分をどうやって受け入れていくのか、考えさせられる映画だったと感じた。映画自体は1時間半で終わってサクッとみられるのでおすすめ。

  • おもしろさ

 ★★★★☆

 映像的にも綺麗で視覚的おもしろさもある映画だと思う。やはりフランス映画は不完全な愛だったり、狂気的な愛が多い気がするが、この映画もその一部になると思う。好きな人が食べちゃいたいくらい好きってまさにこのこと。

  • グロさ

 ★☆☆☆☆

 グロさはほとんどない。動物を解剖したり、血がばらまかれたりとかそれくらい。ただ気持ち悪さは結構あると思うが、中高生でも見れるので是非見てほしいところ。

  • 総合評価

 ★★★★★

 この映画では、カニバリズムはもちろんのこと、菜食主義、ゲイ、太っている、様々な普通ではない人が登場する。またそういう人にこうあるべきだとか、こうしないと罰が当たるといったように普通であることに強制しているシーンもある。(おむつをはかされるシーンとか)

 普通であることとはなんなのだろうか?この世の中の人間が全員ゲイだったらゲイは何も口出しされることはないだろうが、ゲイ人口が少ないから普通じゃないとみなされ攻撃される対象になるんだろう。彼らにとっては生まれてきた環境そのものだからゲイであることは普通じゃないからと言って恥じることではない。太っているからと言って、やせなければいけないということも間違っているのだ。

 

 この世のすべての人間が、人それぞれの特殊性を持っているのだ。それを隠しながら、表に出さず生きている人もかなりいるだろう。そんな人はジャスティーヌのように自分が自分であることを認めるきっかけが見つかるといいですね。

 

 関係ないけど、髪の毛描くの難しすぎるんですけど…アレックスの髪の毛とかもう…ひどい有様じゃんね

 

 

 

 

グリーンインフェルノ ネタバレ考察してみた

グリーンインフェルノ あらすじ

 

 

※ジェスじゃなくてジョナでした。間違えてました。

f:id:unitya:20190902183106j:plain

グリーンインフェルノ あらすじ

 

 国連に勤務する父を持つジャスティンはアマゾンのヤハ族を企業の迫害から救うべくアレハンドロ率いる活動家の団体に加わる。しかしながらアレハンドロの考えた作戦は国連の娘であるジャスティンを人質に取らせ、ライブ配信することによるものだった。

 無事に作戦は成功したものの飛行機が墜落し、助けたヤハ族に捕虜にされてしまう。ヤハ族によって檻に入れられたジャスティンたちが見たものとは、ジョナをバラバラに切り裂き、それを喜ぶ部族の人たち、そしておいしそうにジョナを貪り食う姿であった。

 絶望するジャスティンたちを尻目にアレハンドロはいたって冷静だった、アレハンドロが言うには1つの企業が撤退してだけで、また別の企業がこの部族を滅ぼすからそれまでの信望とのことらしい。つまりジャスティンたちが命を捨てる覚悟で行った行動は全く無意味なもので、裏でアレハンドロたちが金儲けをしているだけだったのだ。しかし、その後にヤハ族に連れられたジャスティンは、処女であったため陰核を切除する儀式を施す準備を始められ一刻を争う事態となってしまった。

 だが仲間の一人が持っていたマリファナを使い何とかヤハ族を混乱させ脱出をする。飛行機の墜落現場まで戻ってGPS携帯を回収するも、ヤハ族の遠征部隊に捕らえられてしまう。目を覚ますと手足を縛られナイフで陰核を切除されそうになったが、周りがあわただしくなり、ヤハ族はそろってどこかへ行ってしまった。

 ジャスティンは残っていたヤハ族の子供になんとか助けてもらうことができた。逃げる際、唯一生きていたアレハンドロに命乞いをされるが、自分が国連の娘であることを利用したことや、金儲けのために犠牲になった仲間たちのことを想い、見捨てるのだった。

 ジャスティンは、ヤハ族の子供に誘導してもらいアマゾンからの脱出を試みたものの目の前に広がっていたものは、部隊によって大量虐殺されるヤハ族の姿であった。ジャスティンの持っていた携帯は壊れていて使えなかったが、ライブ配信しているから虐殺をやめろと嘘をつき、何とか部隊による虐殺をとめ、救助されることとなった。

 無事に帰還したジャスティンは国連に今回の件について証言することとなったのだが、ヤハ族に助けてもらって生存できた、仲間は墜落で全員死亡してしまったと嘘をついたのであった。ジャスティンはヤハ族が食人族であることを否定したため、国連はヤハ族を企業の迫害から守るのであった。

 エンドロール後、見捨てたアレハンドロの妹から連絡がありアレハンドロが生きていることを知ったジャスティン。衛星写真に写っていたアレハンドロはどこかヤハ族のような恰好をし、こちらをにらみつけているようだった。

 

 ネタバレ考察

 すこしグロテスクな表現も多いこの映画だが、ラストのジャスティンの証言によってこの映画がただのカニバリズム、グロ映画で終わらず評価されることになったのは言うまでもない。ただ、ジャスティンの言い分には引っかかった人も多いと思うので自分なりに考察してみようと思う。

なぜジャスティンは嘘の証言をしたのか?

 ヤハ族を迫害から救うために集まった団体であったため、死んだ仲間のためにも嘘の証言をしたのだろうと考えるのが普通だ。あそこでヤハ族の食人を認めていたら、部族を救いたいという仲間の意思も裏切ることになってしまうし、今までの行動が徒労になってしまうということでもある。

 しかし、仲間の復讐のためにヤハ族を滅ぼすという選択肢は彼女の中にはなかったのかというのは気になるところだ。ジャスティンは、ヤハ族にひどい扱いを受け、仲間まで食べられてしまったが、救ってくれたのは紛れもなくヤハ族の子供、つまりヤハ族の未来であった。そういう点も含めて部族を絶滅させるという考えはなかったようにも思える。

アレハンドロは何故生きていた?

 アレハンドロについてはいくつかの説を考えることができる。ヤハ族にはおそらくリーダー的存在であった肌の黒い戦士が存在していた。彼は最後に企業の部隊によって銃殺されてしまったため死んでしまっている。彼だけでなく多くのヤハ族が戦死してしまったため残された女子供のヤハ族がアレハンドロをリーダーにした説だ。

 もともと人の上に立つのが得意なアレハンドロにとってそれは意外なことではないように思える。ヤハ族から出された食事も何の抵抗もなく食べていたし、一人慌てることなくその環境に順応していたかのように思える。また衛星写真に写ったアレハンドロの体は真っ黒に塗られていたようにも思える。

 

 もう一つは、企業がヤハ族を全滅させた説だ。国連の命令むなしく、ヤハ族は全滅してしまったとも考えられる。ジャスティンがヘリで帰ったあとヤハ族はおとなしく戦闘を止め村に帰っただろうか?リーダーを殺され戦意を喪失してしまったとも考えられるが、ジャスティンが帰った後は彼らが戦闘を止めたとは考えにくい。

 また、企業の部隊は、映画中盤で虐殺を止めた時も上からの連絡があるまでジャスティンから銃口を外さなかったので、ライブ配信は嘘であったし、あのままおとなしく退却したとは考えにくい。よって、アレハンドロは誰からも助けてもらえず一人でジャングルをさまよっていると考えるのも無理ない。

 

映画の評価
  • おすすめ度
 ★★★★☆
  映画的面白さもあり、ジャスティン役のロレンツァがとにかくかわいい。さらに脱ぐシーンもあるっていうのもおすすめポイント。そこまでグロ表現がないのもポイント。
 
  • 面白さ

 ★★★★☆

 この映画がただのグロ、カニバリズム映画ではなく、人間同士のせめぎあいがあるのがおもしろい。登場するすべての人が自分のいいように動くのである。ヤハ族は生きるために人間を食べ、企業は利益のためにヤハ族を迫害し森林を伐採する。企業に雇われた部隊も報酬のためヤハ族を殺し、ジャスティンは頼まれていないのに勝手な思い込みによって知りもしない部族を救いに命を投げ出すのである。

  • グロさ

 ★★☆☆☆

 正直全然グロくない。目がえぐり取られたり、舌を切り取ったり、腕や足が切り落とされるが、どこか物のようにも感じ正直グロさはあまり感じなかった。むしろ狂気さや不気味な雰囲気が常に伝わってきた。

  • 総合評価

 ★★★★☆

 はっきり言ってこの作品は多少グロはあるが人におすすめしてもいい作品である。だが私ならこの作品を自信満々に進めてくる友人とは距離を置きたいと思ってしまうかもしれない。おすすめする場合はある程度の映画好きにおすすめしよう。

 

 また、この作品にはSNSなんかでこの事件に関心があるとリツイートやいいねコメントをしたところでその事件の何の役に立ってもないし、それで関心があるふりするのはやめようというメッセージ性が込められている。今現在(2019年9月2日)はアマゾンの火災が深刻化していて様々なハリウッド俳優やサッカーのスーパースターが声明を出したりしているが、彼らのやっていることは本当に現場の人間にとって意味のある行動になっているのだろうか?

 もちろん資金援助、募金をしたらなんとなく人の役に立っていたつもりはないだろうか、本来助けたい人がいるならジャスティンのように現場に駆けつけて行動するのが一番である。募金を否定する気は全くない、言いたいのは今自分ができることを全力でやろうということだ。どんな小さいことでもやったからそれでいいではない、やり続け気にし続けることが一番大切なのであると思う。

オタクの特徴、イメージってなんか…

 最近オタクって簡単に名乗りすぎではないだろうか?私もその一人なのだが、生粋のオタクであると宣言できる。映画関連の知識は豊富だし、映画のグッズなどには毎年100万程度つぎ込んでしまう。まさに絵にかいたようなオタクなのである!!!それはそうとて、オタクについて考えてみる。

 

 まず、オタクの定義って何だろうか?好きなものに金をかけている連中のことを指す言葉なのだろうか、はたまたアイドルの追っかけを指すものだろうか。様々な考えがあるだろうが、確かなことは「何かに熱中している人のこと」=「オタク」というのがどうやら正しいかもしれない。

 しかし、熱中していればオタクなのだろうか?「今、めっちゃゲームにはまっています」=「ゲームオタク」というのは間違っているかもしれない。オタクになるためには熱中する対象のそれなりの知識が必要になってくるため、気軽にオタクとは名乗ってはいけない、いわばオタクはその分野において絶対的自信を持っている専門家のことなのだ。それは言い過ぎかもしれないが、誰にだってそうゆう分野は1つくらいあるのではないだろうか?

 

 ここで気になるのは、上記のような言い方をすれば人類みなオタクということになってしまっているということだ。それではまずい、オタクとしてのアイデンティティを失うも同然になってしまうからだ。そこで、オタクのある特徴に着目してみようと思う。

 

 それは、執着性ではないだろうか。執着というのは、しばしば悪い意味でつかわれたりする言葉だが、だからこそオタクにはもってこいの言葉であると思う。「推しが死んだらいきていけなーい」「2カラー出るならどっちも予約しないとー」これはまさに執着心ではないだろうか!

 

 でも私はそんなことを言いたかったわけではない!今の現代には隠れオタクとオタクぶってる奴が多すぎるわけだ!!許さん!!

 

f:id:unitya:20190830185815j:plain

 

 いまやオタクというのはファッションの一部になってしまったのだろうか、さわやかイケメンが「俺○○オタクなんですよー」に全く納得いかないのである。蓋を開いてみればちゃんとオタクだったってことは確かにあるが、それにしてもオタクのイメージとは今と昔では全く変わってしまったようにも思える。前面にオタクをアピールしていた昔に対して内に秘めたオタクを持っているのが現代オタクではないだろうか?もちろん全員がそうというわけではないが。

 

 それならまだいいが、やめてほしいのはオタクぶることだ。オタク仲間だと思って話していたら、途端にすごく引いてるときとかすごくある。なんでそうなってしまうだろうか、熱意ですか!?こっちの話す熱意が強すぎるんですか!?最低限好きなら別ににこにこして聞いていればよくないですか!?と思う。まぁ、こういうところなんだろうともおもうが。

 

 つまり、オタクと名乗るのは自分勝手というのが極論なのかもしれない。この一文ですべて終わってしまう。日本のオタク文化に幸あれ。

 

 

 

絵が描けない、上達したい

こんにちは、うにちゃです。

今日も今日とてブログを更新しよう!絵をかいて、映画のレビューをしよう!と意気込んでいたわけですが…

 

f:id:unitya:20190830103631p:plain

グリーンインフェルノ お絵描き1

 

絵が終わらねぇ!!!!!

 

絵はまだまだ練習中のうにちゃですが、最初はコミック調の絵といいますか漫画のようなあらすじ(アーノルズはせがわさんのような漫画)を作ろうと思っていましたが…

 

絵がへたくそでデフォルメで書けないんですよね…

 

実は中学時代は美術部に所属していたうにちゃですが、絵は全く描けません。一度運動会のポスターを描いてほしいと頼まれしょうがなく描いたことがあるのですが、校長先生NGが出てしまいせっかく描いたのに世に出ず、自分のもとに帰ってくるという悲しい過去があります。

 

しかしながら、今やiPadがあればデジ絵が描けてしまう時代!オタク必需品の中にはiPadは欠かせないだろう。iPadがあるならば絵を描くしかない!

 

ただのレビューブログにすればいいんですけどね、ひねくれオタクの自己満なんでこのまま絵の上達を目指しつつ良いレビューを言えるように心がけます。

 

                             敬具

うにちゃと申します。


初めまして「うにちゃ」と申します。


1997年に生まれ、子供の頃からスターウォーズ、インディジョーンズ、ターミネーター、etc…を見せられどっぷり映画オタクになってしまったのだった…


中学時代、ロボコップについて熱く語り友人を引かせてしまう。唯一食いついてきたオタクがいたのだが、エゴで突き放してしまう


高校時代、最強のふたり、チャッピー、500日のサマーにハマる。人間関係、恋愛や愛情こそが映画の最骨頂だと信じ込む。


就職後、ストレスからかエログロジャンルにハマる。フローズンタイム、RAW 少女のめざめ、グリーンインフェルノなどの、現代社会に対する強烈なメッセージ性に心を打たれる。


ひねくれ映画オタクの完成である!!


絵も練習中だから見て欲しいんです(^ω^)